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人生に近道なし

ブラスバンド部の冬の発表会?が近づいている。

2か月ほど前にバンドマスターから
新曲の楽譜が二つ送られてきた。

「ゲゲッ、ミとシが♭の曲だ〜」

(僕の担当するテナーサックスの話です)

楽器に触れたことがない人でも
♯と♭があるとなんか大変そうだと想像できるでしょ。

カラオケだと
「低いから一つ上げて」とか「高いから一つ下げて」
と、マシンがやってくれけど
楽器はそうもいかない(当たり前)

かれこれ10年以上サックスを練習しているのに
こんなことを思う自分が情けないと思う反面

「そう簡単には、楽器は上達しないぜよ!」

と、自分を慰める。

そう、楽器は教えてくれる。

上手くなるには時間をかけて
コツコツ練習するしかないことを。

まさに人生に近道なしであり
上達するためのコツなどないのだ。

大人になるとなぜか人は
何かを成し遂げるための近道をすぐに知りたがる。

すぐに手に入るものには価値がないし
コツを知ったからとて上達するものでもないのに。

「ま、それぞれの道で才能の有無があるのは確かですが
才能があるからこそ練習や本番が楽しくなり
うまくすると夢中なって練習しますからね」

好きこそものの上手なれだ。

ただ仕事となると「好きを仕事にする」ことは
そう簡単じゃない。

だって世の中の多くの仕事は
やってみないと好きか嫌いか
自分に向いているのか向いていないのかが
わからないから。

だから僕はこの言葉が好きだ。

「自分のすることを愛する」

生き生きと仕事をしている人に会うと
たまたまこの仕事に出会って
やってるうちに好きになって、気づいたら人生イイ感じ。

こんな人が多い。

もちろん僕もそのひとりだ。

21歳の時に友達から結婚式の司会を頼まれて
何の経験もないけどただただ一生懸命やり
それを周りが褒めてくれるもんだから
これは向いているのだろうと思って続けている。

偶然に出会って好きになり
そして今も夢中で追いかけている。

ということでこれからも
好きで向いている結婚式という事業を突き詰める覚悟だ

「ブラスは一意専心の企業です!」

ということでいちばん書きたかったのは

「とうとう東京23区内に新規出店します!」

これに関してはまた後日詳しく書きます。

スペイン旅行後記

マラガを中心にアンダルシア州を旅した。

せっかくなので僕の経験を書き記すことにより
みなさんの今後の旅の参考に少しでもなればいい。

まずは「新婚旅行におススメの国はありますか」
という結婚式屋の社長としてよく聞かれる質問に
新たな1ページが加わったことは間違いない。

「スペインのアンダルシア地方ですよ!」

新婚旅行の選択肢として
今まで聞いたことがなかったと思う。

「スペインなら、バルセロナかマドリード」

それはもちろん正論なのだが
アンダルシア地方の広さは日本の北海道並みで
そこに歴史的な都市と建造物
さらには海があり山があり
気候も穏やかで晴天率も非常に高い。

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移動はスペインの高速鉄道が便利。

ひと昔前は切符を買うにも
日本人にとってはひと苦労だったけど
今やアプリでサクっと買える。

先日行った金沢駅で海外からのお客様が
新幹線の切符を買うために渋い顔をして
長蛇の列をつくっていた。

「日本というか、JRは何やっとる!」

新幹線があれほど快適だからこそ
そこは一日も早く改善してほしい。

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マラガから「グラダナ」「コルドバ」「セビーリャ」など
何となく聞いたことがある名前の都市を旅した。

「どこも街並みが美しいな〜」

そこにはこれまたなんとなく聞いたことがある
歴史的な場所がある。

この写真はグラダナの「アルハンブラ宮殿」の前。

IMG_5902

その際の注意事項が一つある。

「今や欧州の観光地にある有名な場所に入るには
事前の予約が必要ですよ!」

行き当たりばったりの旅もいいけど
いかに効率よく観光地を回るかは
事前の準備にかかっている。

東京ディズニーランドに行く際に
多くの若者は待ち時間を少なくして
効率よく回る工夫をしているとのこと。

そのあたりのノウハウを生かせばなんてことはないのだ。

僕たちはそれを怠ったから
アルハンブラ宮殿に入ることができなかった(泣)

日本では美術館巡りはしないけど
海外に行くと何となく行きたくなるもの。

IMG_5898

美術界の永遠のスーパースター
パブロ・ピカソの作品はヨーロッパの多くの美術館で
鑑賞することができる。

IMG_6020

特にマラガはピカソが生まれた街なので
「自分の作品を生まれ故郷に」という
本人の要望の応えたピカソ美術館があり
僕のような素人でも見ごたえ十分だった。

そして何のかんの言っても旅は
美味しい料理を食べて飲むことが一番の楽しみ。

IMG_6018

「テラス席で飲めば、美味しさも倍増なのだ」

スペインの食文化はタパスが有名。

「タパス」とは
ここアンダルシア地方が発祥の地と言われている
手軽に食べられる小皿料理のこと。

それは量を食べられない
日本の女性に最適な食文化なのだ。

昨今の円安を考慮しても
レストランの料理がさほど高くないのが
これまたスペインの魅力だと思う。

ということで、末娘と旅したスペイン旅行記でした。

アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち

昨年に引き続き、夏の北海道へ行く。

目的はあの「お、ねだん以上。ニトリ」の
似鳥社長と会食をするため。

どうして僕のような小物が
間違いなく日本を代表する起業家であり経営者でもある
似鳥社長と夕食を共にすることができるのか。

「それは、ただの偶然です」(笑)

IMG_5162

「ニトリでガッチリ!」

何度もお会いしているが似鳥社長は
僕のことを誰だかわかっているようでわかってない(笑)

それでも会のムードメーカーのひとりとして
似鳥大先輩の変わらぬ熱い想いを引き出せたなら
役割を果たせたはず。

御年80歳にして社長に復帰し
休むことなく精力的に社長業をこなし
ニトリを世界的な企業に育て上げ
さらに上を目指す姿勢にただただ感動する。

そして翌日。

昨年行くはずが大雨で電車が止まり
泣く泣く断念した場所へ意気揚々と向かう!

IMG_5165

そこは「エスコンフィールド

正式には「北海道ボールパーク・Fビレッジ」の中心にある
野球場であり、できれば「ボールパーク」と呼んで欲しい。

そこは札幌からJRで17分の北広島という駅から
バスで5分、徒歩で25分の小高い丘の上にある。

この日は15時から
「日本ハム対ソフトバンク」の試合がある。

僕は試合開始3時間前の12時にココに着いた。

「なんで、3時間も前に」

答えは簡単で、野球観戦よりもこのボールパークを
じっくりと見て回りたいからだ

何度も書いている通り、スポーツ観戦が大好きであり
スポーツをする「ハコ」についても異常に関心があるから。

エスコンフィールドがメジャーリーグの球場と比べても
信じられないほど素晴らしいボールパークであることは
知識として知っていた。

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メインゲートから数歩歩くと
この光景が目の前に飛び込んでくる!

大げさだが言葉を失うほど驚く。

広々としたコンコースから続くスタンドと
目の前に広がる天然芝の美しいグラウンド。

「これだ、これが理想のボールパークなんだ」

一瞬にしてトリコになる。

自慢だが大谷選手が所属している
ロサンゼルスのドジャースタジアムや
移籍前のエンゼルスタジアム。

そしてダルビッシュ投手がいるサンディエゴの
ペトコパークなどのアメリカの多くのボールパークに
僕は行ったことがある。

もちろん日本最高の広島のマツダスタジアムにも。

それぞれが特徴のある美しいボールパークだけど
あえて比べてもダントツに素晴らしい!

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ゆっくりとコンコースを歩き、隅々まで観察する。

すると試合開始2時間以上前なのに
観客が続々とやってくるではないか。

「みんな、楽しそうだな」

ファイターズのユニフォームを着て
応援タオルを巻いているファンがものすごく多い。

よく見ると年配の方が多いのも特徴だ。

人々はボールパークの中にある
数えきれないほど沢山ある飲食店に吸い込まれていく。

そうなのだ。

ボールパークは野球場でありながら
別の角度から見ると「巨大な飲食店」だ。

社長病ですぐに売り上げを想像すると

「40,000人×3000円とすると1億2,000万円だ」

(チケット代は別です)

毎試合こうはいかないだろうけど
この日はグッズの売り上げ等も入れると
この数字は確かだと思う。

中に入っている飲食店はどこも活気があり
サッポロビールを片手にラーメンからジンギスカンなど
美味しそうなお店ばかりだ。

この素晴らしきボールパークを創ったのは
誰なんだろう。

その答えはすべてこの本に書いてある。

 
「感涙のノンフィクション」

というキャプションに偽りはない。

僕はこの旅の前から満を持して読み始め
ここに来る寸前に読み切った。

当初は実現はほぼ不可能だと言われ
様々な立場から反対派が多かったこのプロジェクトを
結果的に大成功へ導けたのはなぜだ。

「ひとり一人の本気と情熱がこの世界を突き動かす」

それを改めて、現場に来ることにより知った。

このプロジェクトの責任者が最後の決定をする時に
決め手になったであろう言葉に共感する。

「どこで何をやるかよりも、誰とやるか。
その方が大事だなと、そう考えています」

プロ野球を愛するすべてのみなさんに
このボールパークに行き、感じて欲しいと切に願う。

いつか我が故郷名古屋にも
素晴らしいボールパークができることを信じて。

この山を登る

「我々はこの山を登る」

という目的だけは、ハッキリと示さなければならない。

日本の伝説的経営者である
松下幸之助先生と稲盛和夫先生のお二人が
対談の中で強く述べている。

未熟ながら26年間経営をしてきて
僕もその通りだと心の底から思う。

「登頂が困難な山を目指すか、簡単な山を目指すか」

その選択も確かに大事ではあるが
それよりも遥かに大切なことがある。

それは

「社員全員が登るべき山を知り
それに向かって登っているのか」

ということだ。

社員が多かろうが少なかろうが
登るべき山とルートを明確に示すことが
社長の任務であり使命なのだ。

「一歩一歩、苦しくとも足を踏み出せば
いつか山の頂へたどり着くはず」

ま、登ったと思ったら
もう一つ上があったと気づいてしまうのが
会社経営という終わりなき旅でもあるのだけど。

ブラスが今、山の何合目にいるのかはわからない。

でも「この山を登る」という意思を
社員全員が持っていると信じているし確信してもいる。

「困難な道ではあるけど、山を登っている道中は
声を掛け合って、歌なんかを歌ったり
おやつを食べたりしながら楽しんで登れたらいいね」

ということで、ブラス登山部一同は
今年も綿密な計画を立てて山へ向かった!

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「蝶のように舞え」

目指す先は、北アルプスの蝶が岳だ。

午前4時30分に名古屋を出発し
午前9時に三つ又登山口に着いた。

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なぜか今年は大人気の登山部。

希望した全員を毎年連れて行くのだが
今年はあまりにも入部希望者が多くて
泣く泣くメンバーを厳選した。

「さぁ、行くぞ!
苦しくとも一歩一歩だぞ」

このあとの珍道中の様子は写真と共にアップします(たぶん)

戦略を語る前に

「それぞれの新郎新婦ににとって最高の結婚式をつくり
それを次のお客様につなげていこう」

サービス業ではごく当たり前な
お客様にとっての最高のサービスをすることにより
ファンをづくりをしようとここまでやって来た。

なぜかといえば、それは仕事の基本でありながら
この業界では置き去りにされていると
ハウスウェディング事業を立ち上げる前に
司会者として自分自身が痛切に感じたからだ。

なので「いい結婚式をして次につなげる」ことは
ブラス創業時からの根幹をなす理念であり
これを失えばウチの存在価値はない。

その道を「ブラスラブ」として社員に伝え続けてきた。

そして他社との決定的な差別化をわかりやすくも綿密に
「ブラスの競争戦略」として語ってきた。

過去に勝ち筋が見えた時がある。

「よっしゃ、ここから着実の成長して
長期にわたって利益を上げる、強い会社なるぞ」

最大のチャンスはコロナによって打ち砕かれ
結婚式業界で唯一だと自負している
競争戦略がグラグラ揺れた。

そして現在。

コロナという試練の時を経て
戦略をさらに太く強くして新たなる道筋が見えてきた。

それでも自分自身へ戒めていることは

「戦略や戦術を語る前に、まずは戦闘モードを全開にせよ」

これは小売業で圧倒的に勝ち続けている
「ドン・キホーテ」の創業者の言葉だ。

(みなさん、ドンキの他店とはまったく違う
圧倒的な魅力はお店に入ると伝わってきますよね)

社員に戦略を伝え続けることが
リーダーとして重要なことには違いないが
戦略におぼれて実際は戦わない集団になってはいけない。

なんのかんの言っても結婚式ビジネスは
半年から一年ほど前に結婚を決意した
カップルに来館してもらい
成約しないと一円の売上にもならないからだ。

そして
「挑戦しなければ運は落ちる」

コロナが明けてから一年以上がたち
守りの姿勢から攻めへ転じる時が来たのだ。

そしてこれからも変わらず

「真っ正直に商売をしよう」

この姿勢にもブレはない。

それが結果的に会社の売上利益にもなり
成長へとつながっていくと信じている。

「みんな、悲観することないよ。
将来は明るいと信じて楽観的にいこう」

だって毎週いただく、沢山のお客様からのアンケートに

「今までの参列した結婚式で一番よかった」

「ブラスで結婚式を挙げて、ホントによかったです」

直筆で丁寧に書いてあるハガキを
何通も何通も見ているでしょ!

謙虚さと笑いを大切にしつつも
自信を持って進もう!!

PS.

新卒二期生として入社し
18年間ブラスを支え続けてくれた
「もっち」こと藤本プランナーが卒業した。

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あの、混沌とした時代を懐かしくも
いい時代だったと言ってくれた。

そして

「ブラスに入社してホントによかったです」

その言葉は僕にとって勲章だ。

「とりあえず、ゆっくり休んでな〜」

ニースにて

たったの二日間のバルセロナ滞在を経て
南仏のニースに移動した。

「なぜ?もっとスペインを楽しめばいいのに」

僕もそう思う。

当初はニースに会社を持つ仲間がいて
ならば人生初の南仏旅行をしようという話だったが
どうしてもバルセロナにも行きたいという主張が通り
強硬スケジュールになったのだ。

「10名の仲間全員が楽観的で、せっかちですからね〜」

それで朝の4時に起きて空港へ向かうハメになった。

ヨーロッパの各都市は当然ながら空路で結ばれていて
大手の航空会社から格安LLCまで
多くの会社が飛行機を飛ばしている。

なのでニースまでは
聞いたこともない「ブエリング航空」に乗る。

ここで読者のみなさんに海外旅行に行った時に
肝に銘じて欲しいことがある。

「空港はスリの被害にあう、最も危険な場所ですよ!!」

海外の多くの空港ではチェックインの機械操作を
自分自身でしなければならない。

これがなかなか面倒な場合があり
ついつい画面に夢中になってしまうことがある。

人が何かに夢中になった時は
どうしても無防備になるからそこを狙われるのだ。

「叱れらるので実名は書きませんが
仲間のひとりがあっという間に
大切なバッグをスラれました」

「しかもその方は、一年で二度目の被害です」(笑)

そんなこんなで人生初の南仏のニースへ行く。

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ニースの海岸沿いの歩道は世界遺産とのこと。

「そりゃ気持ちイイ!」

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砂浜じゃなく、石のビーチには驚いたけど(笑)

「日本の女性と違って、みなさんしっかり日焼けしてます」

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ここはニースの近くにある「サン・ポール・ド・ヴァンス

「ぜひとも検索してください!」

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そして隣町はF1グランプリで有名であり
超富裕層しか住んでいない「モナコ」がある。

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ニースは世界有数のリゾート地に相応しく
朝から晩まで賑やかだ。

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海岸にはもの凄い数のクルーザーがところ狭しと並び
圧巻の光景が広がる。

リゾート地しての歴史が深く
短い滞在でも日本のリゾートとの
格の違をいたるところで感じる。

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森の中には木々に囲まれたオーベルジュやレストランが
ポツポツあり、みなさん休日をゆっくりと楽しんでいる。

慌ただしくも充実した2日半のニース滞在で
今年のリトリートを終え、仲間と空港で別れた。

そして僕はニースからひとり
ある約束を果たすためにロンドンへ向かった。

バルセロナが好き

一年に一度、必ず旅をする仲間がいる。

20年以上所属している「EO」という団体の中で
「フォーラム」と呼ばれる班があり
そのルールの一つとして「リトリート」と称される
旅をすることが義務付けられているのだ。

今年もその季節がやって来た。

10名の経営者仲間なので
全員のスケジュールを合わせるのは困難だけど
行くと決めていれば何とかなるもの。

「旅も仕事も期限を決めることが大切なのです」

昨年のトルコ旅行があまりに楽しかったから
今年もそのノリを引き継いで
スペインのバルセロナで集合することに相成った。

「海外旅行をするなら、どこがおススメですか」

そんな会話になると僕は間髪入れず

「バルセロナです!」と答えてきた。

それはいろいろ理由はあれど

「とにかく好きなのです」

b-ドレッセの初期の頃に、まだ始まったばかりの
「バルセロナファッションウィーク」に毎年参加し
ウェディングドレスを積極的に買い付けていたことが
一番大きいのは確かなのだけど。

「もう、あの頃の買い付けの失敗を
責めるのはやめてくださいね」(笑)

仲間より半日以上先に着いたので
懐かしい場所へひとりで向かう。

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ピカソの故郷バルセロナにある「ピカソ美術館」は
彼の子供時代からの作品も飾ってある。

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「こんな風景画もあるんです」

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日本の影響を受けた感じの作品も。

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青の時代とかを経て
だんだんこうなっていく過程を感じられるのがいいところ。

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仲間と合流して夜のサクラダファミリアへ。

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「いつになったら完成するのでしょうか・・・」

それがガウディの作戦だとしたら凄すぎる!

観光客は何度も何度も訪れるのですから。

それにしても圧巻の建築だ。

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サクラダファミリアの上に登ったのは初めて!

「もしもここに行くなら、予約はかなり困難らしいけど
ぜひチャレンジしてください」

「帰りは400段の階段がやや恐怖です」

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ここはグエル公園。

アントニオ・ガウディは実に働き者だ。

亡くなるまで働きっぱなしだったという。

「天才は多作なんですね〜」

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バルセロナのレストランはどこに入っても美味しいですが
やはり「パエリア」を食べないとね。

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ピカソと並ぶバルセロナが生んだ天才ミロの
「ミロ美術館」はモンジュイックの丘の上にある。

丘の上から景色は圧巻であり
そこのカフェでゆっくりするのもおススメだ。

ということで、せっかちな仲間10名で
怒涛のバルセロナ観光を経てフランスのニースへ向かった。

「オッサン10名の旅なのに
なんで予定を詰め込むんでしょうね」

それが空港でこんなことになるとは・・・。

続く。

息子の結婚式 3

「最後まで書き切ってください」

社員には

「その仕事はやり切ったのか。
やり切ることが大切なんだぞ」

と、指導し続けてきたにも関わらず
シリーズブログをウヤムヤにしてはいけない。

息子の結婚式後はいろんな人から

「父として経験した結婚式はどうでしたか」

と、聞かれた。

それは自分の仕事だということを差し引いても

「子供の結婚式と披露宴は、想像していたより数倍楽しく
感動と興奮に満ちあふれた時間だった」

結婚式は自分たちの為ではなく
今まで生きてきた感謝の気持ちを込めて
家族や友人の為にもどんな形であれ実施すべきなのだと
身をもって感じたのだった。

改めてこの仕事を天から

「やらせてもらっている」

その幸運に感謝しつつ天命としてやらねばと
大げさなことも思ったのだった。
 
5 (264)

さて平日開催ということもあり
やや長いパーティーも後半へ突入した。

5 (270)

「父さん、バンド演奏も頼むわ」

父がしゃしゃり出たわけじゃなく
息子の依頼により達明バンドのメンバーと共に
入場ソングを歌う(勝手にシンドバッドね)

5 (279)

「嫁ハンと歌えば、息子も喜ぶかな」

かなり練習して、歌詞も練りに練って
子供の頃の写真をバックに歌った
「そんなゲンキにだまされて」
は、我ながらいい出来だった。

5 (283)

「やはり遺伝なのか」

息子もマイクを持ってペラペラ話すし、歌も相当好きだ。

5 (286)

僕がサザンファンで息子がミスチルファンならば
桑田さんと櫻井さんのデュエットソング
「奇跡の地球」を歌うしかない!

5 (285)

「これこそ、至福の時というのだろう」

5 (292)

「このサプライズには驚いたナ」

5 (291)

村上佳菜子ちゃんが僕へのメッセージと
ゲストをブッフェに案内する映像で
会場を沸かせてくれたのだ。

5 (289)

「結婚式十分に楽しむには、時間が必要なんです」

5 (302)

クライマックスに向かって
この人はというゲストにインタビューする時間を
ブラスはずっと大切にしてきた。

5 (305)

新婦の父の笑って泣いての言葉を引き出せたなら
それが一流の司会者の証だ。

5 (307)

「まさか、息子が手紙を読むとはな〜」

5 (317)

そして人生初の両家代表あいさつへ。

「涙をグッと堪えようすればするほど
人は泣いてしまうんだな・・・」

若さゆえに息子が幼き頃は未熟な父だったことを
話してまた涙してしまった。

5 (327)

「まだやるんか〜い」

新郎新婦が退場したと思いきや
東海地方名物の「お菓子まき」をして

5 (328)

両家にとっての思い出の時間はおひらきだ。

5 (336)

「この結婚式の担当は温子さんにお願いしたい」

まさに二人に成り代わって、すべてを理解した上で
特別といえば特別の結婚式を仕切り切ってくれた。

5 (340)

「スタッフのみんなもありがとう!!」

5 (346)

妹がフルプロデュースした
兄のタキシードと新婦のドレスは
どれもこれも美しかった!

「みゆうも兄への愛を込めて、よくやったね」

5 (349)

長年共に働いている裏方チームにも最大限の感謝を。

「結婚式って、いいね!」

家族で余韻に浸る時間もまた格別でした。

息子の結婚式 2

「新郎の父として振舞い、心から披露宴を楽しもう」

と、決めてはいたものの
どうしても心の中ではいろいろ気になってしまう。

進行表こそチェックはしなかったけれど
主役にとってもゲストにとっても最高の結婚式になるならば

「父ではなく、社長としてやらねばならんぞ」

余計なことをウェルカムブッフェを楽しみながらも思う。

そうこうしているうちにケーキイベントが始まる。
 
5 (68)

「まさか、こんなドでかいケーキを発注するとは・・・」

5 (73)

「かなり驚いたんで、パティシエチームにアッパレだ」

5 (77)

テラスから自然に主賓席に座ろうとする自分を笑い
「今日は家族席でしょ」と
自分にツッコミを入れて席に着くと
全社員から写真と寄せ書きが貼ってある
アルバムが置いてある。

「みんな、ありがとう!」

もはや自分の結婚式と勘違いしそうだ(笑)

5 (80)

この日のドレスコードは「ブルー」

5 (81)

レマンダンサーズと共に入場して

5 (82)

披露宴が始まる。

5 (86)

ドレス紹介はビードレッセのプロデューサーであり
新郎の妹でもある河合美憂。

美憂は兄に頼まれて数年前に新婦を紹介したので
正真正銘の恋のキューピットなのだ。

「紹介しておきながら、兄を取られたと嘆くのは
もうやめなさいね」(笑)

5 (107)

新婦の中座は弟さんと。

ビシッと制服姿で登場してくれたことがうれしい!

5 (116)

そうなると新郎はふたりの妹と共に中座だ。

「幼い頃から、ホントに仲良し兄妹だな〜」

これもすべて父の教育の成果だね(笑)

5 (117)

中座後にすかさず父母を呼んで
サッと撮影をしてくれる心遣いはさすがブラス。

細かな積み重ねが最高の結婚式に結びつくと
今さらながらに実感する。

5 (118)

「妹よ、泣くのは早いぞ」

5 (120)

「結婚式屋の息子だから、盛大にやります!」

5 (122)

新郎が最初に宣言した通り、披露宴まだまだ中盤だ。

5 (125)

「まさか息子の結婚式で、めでたやをやるとはね〜」

結婚式場をつくる前は
この姿でいろんなイベントに出て食いつないでいただけに
この姿は幼い息子に印象的だったのだろう(たぶん)

5 (243)

「両家のお母さんどうぞ〜」

5 (247)

「25年以上も活動を共にする同級生のガキちゃんと
先輩たちありがとう!」

最高のパフォーマンスができた。

5 (248)

「我ながら、変な親子ですね」

5 (251)

盛大な披露宴にするならば
僕の時代のようにお色直しを何度もするのは必須だ。

5 (259)

新郎も新婦も中座のエスコートを祖母を指名し
司会者が幼い頃のエピソードを引き出す。

おばあちゃんがこの日をどれだけ楽しみにしていたかを
知っているだけに感慨深い。

続く・・・。

息子の結婚式 1

21歳の時に友人の結婚式で司会者としてデビューした。

それ以来、数えきれないほどの結婚式を見てきた。

若い頃は友人や親族の結婚式にゲストとして招かれ
ブラスの社長になってからは社員の結婚式に
主賓として出席し、たくさんの経験を積んできた。

自分も25歳の時に結婚式をして
新郎の気持ちを十二分に味わい
その時の経験は今も自分の中に息づいている。

どの立場で出席してもチラッと心に思うことは

「自分の子供の結婚式はどんな気持ちになるのかな」

であり、それが現実になった時に
結婚式屋としてまた一つ成長できるとも思ってきた。

それが5月4日に実現したのだ。

5 (3)

「晴れたらいいな」

2週間ほど前から天気予報を毎日確認するのも親心。

祖母はテルテル坊主をつくっていたらしいし。

5 (11)

「32歳だから、そりゃ結婚してもらわんとな」

5 (9)

場所はブルーレマン名古屋。

「当たり前ですが、ウチの会場です」

5 (17)

「父親に相応しい服装って、なんだ・・・」

いざ自分の番になるとかなり迷った末に
紋付袴で挑むことにした。

「お腹はちょっと苦しいけど、気持ちは引き締まるな」

母親(息子の母ね)の黒留袖姿もなかなかだから
定番の良さを改めて感じる。

5 (22)

ブラス伝統の「家族対面の時間」は想像以上に緊張した。

5 (27)

「こんな時、母親は感情を素直に出せていいナ」

5 (26)

男親は涙をグッとこらえて、カッコつけるもの。

5 (29)

この貴重な時間を大事にしているブラスを
我ながら誇りに思う。

5 (36)

これ以上ない春の陽気に恵まれたなら
親族写真をテラスで撮ることを
担当プランナーが決めて実行する。

「相談しなくていい。
新郎新婦に成り代わってプランナーが決めなさい」

ずっと言い続けてきたことを
社長が父だからといって変えることなく
ビシッと仕切る姿勢に心の中で喝采を贈る。

5 (37)

この日を一番楽しみにしていたのは
おばあちゃん(母の母ね)。

祖母が息子が生まれた時から今日まで
どれほど愛情を注いできたかを知っているだけに
この日を無事に迎えられたことに
感謝の気持ちが沸いてくる。

5 (39)

そして始まった人前式。

5 (51)

一つひとつの儀式を父として眺めることができた。

「今日だけは、いろいろと気になっても
あーだこーだと指示しちゃダメですよ」

スタッフから言われたことを素直に聞けたことが
ちょっとうれしい。

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新たな家族写真が河合家のアルバムに加わった。

というのも一か月くらい前に実家からアルバムを取り寄せて
幼い頃の写真を毎日のように見ていた。

「えっ、俺ってこんなにも子供の写真を撮ってたの」

当時はデジタルじゃなくてフィルムにも関わらず
カメラ好きだったこともあり大量の写真が残っていて
それをアルバムにキチンと貼り付けていたのだ。

「意外ににイイ父親だったのかな・・・」

たぶん勘違いだけど想い出の写真を残すことの
素晴らしさを実感したのだった。

5 (59)

鈴木総料理長が自ら先頭に立ち
この日のメニューを考えてつくってくれた。

まずはテラスでウェルカムブッフェを楽しみ
いよいよ披露宴が始まる。

長くなりそうだからこの辺で続く。

花嫁の父

食品メーカーの営業マンだった若い頃に知り合い
毎日のように一緒に仕事をしていた友人がいる。

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「河合と松浦のコンビといえば
当時の業界ではちょっとした顔だったよね」

「いい意味でも、悪い意味でもね」(笑)

別々の会社に勤めていたのになぜか馬が合い
ふたりでコンビを組んでスーパーの商談に挑んだ日々は
楽しい思い出ばかりだ。

僕も出しゃばりだが、松浦は僕以上の出たがりだから

「娘の結婚式になにをしたらいい」

という相談をずいぶん前から受けていた。

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「まずは映像で娘さんを驚かせよう」

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「有名な「鶏三和」の執行役員なのだから
ここはひとつ、自分で焼き鶏サービスをやるべきだよ」

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新婦の父が自らサービスする姿は
娘さんとゲストの心を打ったに違いない!

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「アッパレ!よくやったな」

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「ま、いろんな場面で、存在感ありすぎだけど・・」(笑)

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「嫌がる娘さんを熱く抱擁した姿は
なかなかいいシーンだったぞ」

花嫁の父の思いはいろいろあれど

「娘の為に、何かをやりたいのです」

そんな父は世の中に大勢いると思う。

「ブラスをそれを、何らかの形で叶える体制が整ってます」

遠慮なく娘さんに内緒で
会場に問い合わせてください!

PS.
そんな僕も、明日は息子の結婚式に親として参列する。

やや大げさだけど、人事を尽くして天命を待つ心境だ。

仕事を忘れて、親としての使命を果たすと決めています。

偉大なる桂由美先生

「日本のウェディングドレスデザイナーで
あなたが知っている人を教えてください」

新卒採用の面接でそんな質問をすることがある。

「桂由美さんです。
あとはすいませんが勉強不足で知りません。」

十中八九その答えが返ってくる。

それは結婚式業界以外の人へ質問しても同じだと思う。

一般の人までもが知っている
唯一無比のドレスデザイナーである
桂由美先生が94歳で亡くなった。

先生は1964年に日本初のドレスサロンを東京で開いた。

ウェディングドレス業界の先駆者であり
女性でありながらこの時代に起業したことも驚きだ。

先生はこの時代に悩みに悩んだと推測する。

「いかにしてウェディングドレスを広めるか。
そして自分のデザインしたドレスを
いかにして結婚式で着てもらうか」

ここで出した結論とその後の行動が
桂由美ブランドを全国に轟かせることになる。

それは企業の競争戦略のお手本ともいえる
他社がそう簡単に真似できない秀逸な戦略ストーリーだ。

(これは競争戦略を分析することが好きな僕の私見です)

だからこそ

「ウェディングドレスといえば、桂由美」

これが50年以上続いている。

先生はドレスデザイナーとして超一流で
起業家としても抜きんでた存在なのだ。

ここからは少し自慢なのだが
僕は先生に褒めてもらったことを密かに誇りに思っている。

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桂由美先生がこの記事を読んで

「そうなのよ、河合さん
これは私が長年願ってきたことなの。
よく言ってくれたわ〜」

と、僕に伝えて下さったのだ。

先生は亡くなる数日前まで現場で仕事をしていて
まだまだやりたいことが沢山あると言っていたと
報道で知った。

「スゴイ!凄すぎる」

77歳まで現役で突っ走ると自慢げに言っている自分が
あまりに甘ちゃんだと恥ずかしくなる。

「先生のあとを継ぐのは俺しかいない」

ドレスデザイナーじゃないからそれは冗談だけど
結婚式愛を最後まで貫き通したその志を
自分は継承するひとりになろうと思ったのだった。

村上佳菜子のフィギュアスケート音楽会

村上佳菜子ちゃんに
「河合さん、ぜひとも来てください」
と、言われたならば
なんとしても馳せ参じなければならない。

「村上佳菜子のフィギュアスケート音楽会」


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場所は東京上野にある東京文化会館。

JR上野駅の公園口の目の前にある
堂々たる音楽専用のホールだ。

土曜日はポカポカ陽気ということもあり
上野動物園に向かうみなさんで大変な混雑だった。

「せっかくだから、パンダを見ようかな」

という気にはまったくならない。

だって、トンデモナイ量の花粉が舞っているから・・・。

こんなにいい天気が逆に恨めしいとは
35年も付き合っているけど改めて花粉症が憎い。

それはともかくこの音楽会は
僕の予想をはるかに上回る最高の演奏会だった!

まずは曲の構成。

フィギュアスケートのレジェンドたちが
オリンピックでメダルを獲得した時の曲の数々を
オーケストラが演奏したのだ。

「そりゃソチ五輪の浅田真央ちゃんの
伝説のフリーを思い出すでしょ!」

日本中をくぎ付けにしたあの演技と
終わった後の涙の表情が音楽と共に蘇る。

そして僕は全く知らなかったのだが
オーケストラを指揮する
田中祐子さんの存在が際立っていた。

「名古屋出身でこんなにもスゴイ指揮者がいたなんて。
トークもメチャクチャ面白いし!」

さらにさらに、我らが村上佳菜子ちゃんの司会っぷりが
ひいき目ではなく、客観的に見ても素晴らしかった!

「佳菜子ちゃん、成長したな〜」(親のような気持ち)

最初のダンスで観客の心をガッチリとつかみ
大ちゃん(高橋大輔くんね)とのやり取りで
笑いを誘うことにより和やかなムードが生まれ
観客が演奏に集中して楽しむ雰囲気をつくったのだ。

「フィギュアとオーケストラの相性は抜群だね〜」

このコンサートの成功により
佳菜子ちゃんの仕事の幅はさらに広がると思う。

「これ以上売れっ子になると困るナ
ブラスミュージックを降板するかも」

そんなセコイ気持ちを抱いた自分にカツを入れつつ
僕もがんばらねばと上野を後にしたのだった。

パンダはまた今度だ。

ニセコ会議 2024

北海道のニセコにいる。

経営者の大先輩たちが
世界的な有名な「ダボス会議」並みの
「ニセコ会議」をつくろうと奔走し
第一回の開催にこぎつけたのだ。

幸運にも招待を受けたので、喜んでニセコにやって来た。

それは正直なところ半分嘘で、体調がやや不良なことと
あまり知らない経営者たちと三泊四日の経営合宿は
ちょっと苦痛かもと及び腰の自分がいた。

(いつもEO仲間に囲まれて、ヌクヌクしているから)

そんな時は自分にカツを入れるのではなく
「誘われたなら、のってみる」という自分の信条と
仮に勉強会や懇親会がつまらなくとも
「ニコニコして我慢するだけじゃないか」を
長年の経験で学んだからだ。

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「人は旅と本と人からしか学べない」

それを信じるなら、その三つが揃っている
北海道合宿は大いなる学びがあった。

様々な分野でグローバルに打って出る
魅力的な経営者とも知り合えた。

午前は共にゲレンデを滑走することで
より親密になれたし。

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ちなみにニセコのスキー場は外国人が70〜80%いる。

ホテルでもレストランでも英語が飛び交い
日本語が通じないスタッフもたくさんいる。

「なぜ、ニセコが世界ブランドになったのか」

それをニセコの町長から直々に聞き
その秘密というより一歩一歩進んできた道のりを
聞くことができた。

「終わってみれば、いい旅だったナ 」

週末に奮闘したであろうブラスメンバーにも
いいお土産もできました。

バカが好き、吉田パーティー2024

新卒二期生として入社して
ブラス初期の名物男として君臨した吉田典弘が
またも自分の為のパーティーを開催した。

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2017年に「俺のすべて」と題して開催したパーティー
バカバカしくも心に残るいい会だった。

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ちなみに吉田はずいぶん前にブラスを退職していて
前回は苦学の末に行政書士に受かった記念の会だった。

今回はただの40歳記念(笑)

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「ま、こんなバカがいてこそ、人生は楽しいのだ」

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すべてのプログラムは自作自演。

いきなり練習を重ねたピアノ演奏を披露する(下手くそ)

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「こんなバカの為に、これだけのメンバーが集まるとは
みなさんヒマですね。僕を筆頭に・・・」

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なんと19年前に入社した新卒2期生が全員集合した!

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「えっ、経理部長も取締役も〜」

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新卒で吉田が働いたブルーブランの古い仲間たちも。

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吉田が一瞬支配人をした、ルージュブランの面々もいる。

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自分でデザインしたらしいケーキを用意し

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二期生一同で入刀・・・。

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「会社で生涯の仲間ができるって、イイね〜」

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なぜか、お色直しする吉田(笑)

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「そこまでやるなら、一緒に歌うか〜」

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二期生男子とも共演し

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「ちょっとは吉田も俺に感謝したかな」

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バンドメンバーもこんなアホに付き合ってくれて
ありがとう!

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さらにパルムメンバーにもダンス指導をして

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ビュッフェへ。


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「総料理長まで担ぎ出すとは、アッパレだわ」

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同期の桜の西川司がインタビューして

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吉田にエールと共に

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「もっとしっかりせんかい」と喝を入れて

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最後まで演じ切った吉田のダンスで
バカバカしくも楽しい会はおひらきへ。

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「こんなパーティーがもっと増えたら人生は豊かになる」

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「アッパレだけど、これで抜け殻になるなよ、吉田」

また10年後にやろうぜ(お金貯めとけよ)

理念に賛同するから買います

1月は年末年始に結婚することを決意したカップルが
「新規のお客様」として
結婚式場に年間で一番多くやってくる月だ。

名古屋市内においても式場ホテルはもちろんのこと
様々な形態があり、お客様の選択肢はかなりある。

「さぁ、どこに見学に行こうかな」

迷いながらも時間的な制限があるから
「全部見学してやろう」
などということは不可能に近い。

僕たち結婚式場を運営する立場からすると

「どうすれば、結婚を決意したカップルの目に留まり
会場に足を運んでいただけるんだ」

と、試行錯誤をすることになる。

結婚式ビジネスにおいて集客は言うまでもなく
企業の命運を決めるのだ。

ブラスは創業から今日に至るまで

「それぞれの新郎新婦にとって最高の結婚式をつくり
次のお客様につなげていく」

それを第一に掲げている。

そんな口コミで一杯にするという道のりは遠く険しく
簡単ではないけどそれがお客様の為だという信念があるから

「どんなに遠くともたどり着いてみせるぞ」

その理念に迷いはないし
そうじゃない道を選んでしまったら
ブラスの存在価値はなくなるとも思っている。

ただ理想に向かって一歩一歩すすみつつも
現在の状況に合わせて企業活動をしなければならないことも
確かな事実だ。

「ブラスの企業理念と歩んできた道に共感して
会場見学に来ました!」

そんなお客様に出会うとたまらくうれしい。

ちょっと前に三重県にあるハウスメーカーの社長さんが
縁あって僕を訪ねてきた。

いろんな話をしたのだがその中で

「ブラスの社員さんが、ウチで家を建てているんです。
数ある建築会社の中で
ウチを選んでくださった理由を聞いたら
理念に共感したという答えを聞いて感動しました」

僕もそのことを聞いて感動した!

何かの買い物をする時でも、飲食をする時でもいい。

「その会社の考え方や、やっていることが好きだから選ぶ」

そんな基準を多くの人が持って欲しいと思うのです。


PS.

リーダー女子会 (3)

「たまには女性のリーダーたちと食事会をしてください」

ありそうでなかった要望があり開催した。

「男の悪口で盛り上がったね〜」(嘘です)

定期的な開催が決まりました! 

誕生日 2024

メルボルンの旅から帰って
「さぁ、やったるぞ」と
やる気満々で出社した1月21日は僕の誕生日!

そんな日にビッグニュースが飛び込んできた。

佳菜子さん (1)

「河合さん、豊と結婚式します。夜のテレビ番組
行列ができる相談所に一緒に出演して発表します!」

村上佳菜子ちゃんから、そんなメールが来たのだ。

佳菜子ちゃんと僕とでパーソナリティをしている
「ブラスミュージック」というラジオ番組も
気づけば5年目に突入した。

佳菜子さん (2)

結婚相手の豊くんとは何度も会ったことがあるし
結婚報告に使われたこれらの写真は
ブラス直営のドレスショップ「ビードレッセ」の
ウェディングドレスとタキシードだ。

さらに僕の誕生日に
大々的に発表とは二重三重の喜びなのだ。

で、僕自身の誕生日はというと
まずは本社のお隣にあるブルーレマンが
こんな感じで祝ってくれた。

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写真をよく見ると
1月21日生まれの有名人の写真が貼ってある。

それで今まで知らなかったのだが
なんとなんと経営の神様といわれている
稲森和夫先生と同じ誕生日だったのだ!!

今までは
「高田純次さんと同じなのよ」と話していたけど
これからは断然
「稲盛先生と同じだから、経営の才能があるかも」にしよう。

HB2024  (2)

レマンの隣のクルヴェット名古屋でも祝ってもらい

HB2024  (5)

本社の社長室周辺は

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毎年恒例の

HB2024  (4)

一年間の記録写真がところ狭しと飾ってある。

そして翌月曜日のお昼は

誕生日2024本社  (1)

これまた本社メンバーから恒例のメロンをもらい

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「58歳、ゴーヤ食べて、ゴーヤ茶飲んで
元気に働いてください!」

誕生日2024本社 (3)

「みんな、ありがとう」

今年もいい誕生日でした。

あけましておめでとうございます 2024

毎年恒例の新年ブログを書くはずが
気づけば1月7日。

そして昨年はブログを書き始めて19年で
たぶん最低の更新数だった。

自分の中で書こうと思っていたことは沢山あったし
書くべき出来事もあった。

「PJ祭りと慰安旅行の続きはいつ書くんですか」

と、よく言われたな(申し訳ない)

全体ミーティングと株主総会も飛ばしたし
年末の「めでたや還暦祭り」も書き損ねた。

「そうなった原因は何ですか」

自らに問いかけた時、答えが出た。

「それは、書き始めないからです」

書き始めれば今しているように
なんか知らんけどいろいろ頭に浮かんできて
筆がすすむもの。

小説家でもエッセイストでもないんだから
正確な日本語じゃなくとも恥じることはないし
アホなことをついつい書いてしまったとしても
書かないよりマシだ。

あとはカッコつけていいこと書いてやろうという
見栄っ張りな心がアカンね。

「完璧なものじゃなくていい。
未完成でもいいからまずは提案しなさい」

そう社員に教えているのだから。

なので今年は「とにかく書き始める」ことを
このブログを書きながら決めた。

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「あけましておめでとうございます」

2024年の元旦に大きな災害が起きて
僕たち日本人はお正月を楽しみながらも
心を痛め続けている。

「できることをするしかないから
僕らはやるべきことをやろう」

今年も河合ブログをどうぞよろしくお願いします。

大晦日の夜に 2024

今年も最後のブログを書かねばと思い立ち
ほろ酔い加減ではあるけどパソコンを立ち上げた。

ここ数年の年末は家族で沖縄に来ている。

「年末年始の恒例行事を決めて実行し続けると
大人になっても子供たちはあきらめて従ってくれるぞ」

結婚して子供がいる社員には
そんな経験談を話すことも最近はしばしばある。

「57歳の一年はどうでしたか」と聞かれたら

「苦しかったコロナ時代を乗り越えて
結婚式をマスクなしでできるようになりました」

と答え

「やっと元に戻ったんですね」

と、よく返されたけど
決して元に戻ったのではない。

失われた3年半は当たり前だがブラスだけではなく
結婚式業界に深い傷跡を残した。

それでも「人間万事塞翁が馬」という
僕が一番好きなことわざ通り

「あの経験があったからこそ
結婚式はより良い方向にすすんだのです」

そう言える日が来ると信じて
一歩一歩進み続けなければならない。

「あと最低20年は社長として走り続ける」

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と、宣言するまでもなく言い続けているので
沖縄でも決意のジャンプだ(笑)

紅白歌合戦もそろそろフィナーレ。

大好きな新しい学校のリーダーズに笑い
68歳の郷ひろみの挑戦する姿に刺激を受け
キャンディーズの蘭ちゃんの懐かしい歌声を聞き
僕の永遠のアイドル薬師丸ひろ子が
「セーラー服と機関銃」を当時と変わらぬ
清らかな声で歌い切った。

「エレカシの宮本さんは、どんな時も変わらんな〜」

それぞれの歌手が熱唱する姿を見ながら思う。

「人の声って、スゴイ楽器だな」と。

ギターでドを弾いたらド。

サックスでドを吹かなきゃドじゃない。

(サックスのドはドじゃないけど)

人の声は意識することなくメロディーを奏でる。

なにを書きたいかわからなくなってきたけど
「YOASOBI」の演奏とゲストのダンスは圧巻だった。

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そろそろ「年越しそば」を食す時間だ。

みなさん良いお年を。

すごい健康法 2

前回の続きです。

新ブラスラブに書いた
「目指す未来」を達成するには
リーダーとしての僕に何が必要なのか。

それはもう書くまでもなく

「元気に生き続けること」が

第一条件だ。

これは社員に向かってよく話すことだが
僕の健康志向のルーツは若い頃に会社員として
「食品メーカー」に勤めていたこと。

食品をつくって販売している会社の営業マンだったから
食品のことを幅広く学ぶ。

しかもその会社は健康食品の中でも王者だと
僕は思っている「ゴマ」のメーカーだったから。

(今もゴマを深く愛しているので
当然ながら家にいる時は毎朝食べています)

ゴマのことはさておき
食べ物の話は社員に向かってする定番なのだ。

(卵の話しは以前のこのブログを読んでください)

そんなこんなで健康に関する本もたくさん読む。

 
今回読んだこの本の中で
どうしても伝えたことは二つ。

「いいですか、ブラス社員のみなさん。
ずっと飲み会の席では言い続けている通り
甘いジュースだけは飲んじゃダメです!」

もう一つは新しい発見というか
知っているようで知らなかったこと。

「そうか、舌そうじって
こんなにも簡単でこれほど重要とは驚いたな」

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速攻で購入して、毎朝サラッと磨いている!

みなさんもぜひ!

すごい健康法 1

「あと最低20年。77歳まで社長として最前線で
ブラスの経営を続けます!」

と、社内はもちろん
社外にも大マジメで宣言してる。

今年初めに経営理念をまとめたカード
「ブラスラブ」を1年以上かけて
プロジェクトチームを中心に悩みに悩んで
社員からも幅広く意見を募り
15年ぶりに刷新して発表した。

「興味のある方はぜひ
ウェブサイトに公表してますからご覧ください

その中には17年前に僕自身が
悩みに悩んでつくった「ブラスラブ」に
書きたくとも書けなかったことを
リニューアルを機に堂々と入れた。

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目指す未来は

「ブライダル業界で名実ともに日本一をなる」

そしてブラスの存在意義(パーパス)は

「日本中にいい結婚式を広める」と宣言した。

これが数年で達成できるはずがないことは
結婚式業界を冷静に分析すればわかることだ。

とすれば、話は始めに戻るが
達成するには長い年月が必要だから
おいそれと僕が社長を引退するわけにはいかない。

ある人はそれを「老害」というかもしれないし
結婚式は主に若者がするものだから
経営者も「若返り」をした方がいいのではという
意見が出ていることは百も承知。

しかし「創業者に引退などない」と
大尊敬するユニクロの柳井社長も
著書で書いている通り
会社を売らない限り、生きている限り
創業者には責任があると僕も信じている。

「その為には何が一番大切なのか」

これを書こうと思っていたら
案外前置きが長くなってしまったので
明日に続く。

未来ウェディングJAPAN リアルカンファレンスin名古屋

一般社団法人未来ウェディングJAPANという団体の
理事として活動を続けている。

発足したのは今年の2月だが
その一年以上も前から準備をしていて
オンラインミーティングを二週間に一度は実施し
現在に至る。

「活動内容は、ぜひともウェブサイトをご覧ください!」

ウェディング業界に携わる方で
もしもこの活動に疑心暗鬼な気持ちを持っているとしたら
それは違いますと直接話しに行きたいくらい
僕たち理事は結婚式業界の発展と維持の為に汗をかき
多くの時間を使っている。

「なのでまだ加盟していない結婚式業界の会社は
なんとしてもFWJ(未来ウェディングジャパン)に
入ってください!」

コロナのような出来事が襲ってきたときに
業界がまとまっていなければ何もできないことを
痛いほど学んだのだから。

FWJ (1)

そんなFWJの会員が集まる
第二回リアルカンファレンスを
光栄にもクルヴェット名古屋で開催した。

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ポジティブドリームパーソンズの杉元理事は
司会をかって出るなど、この会を回すエンジンだ。

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FWJのリーダーであるT&Gの野尻会長の
強烈なリーダーシップがあるからこそ
この会が立ち上がり、ここまで成長できた。

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エスクリの渋谷理事は副会長として
渋谷さんにしかできないであろう
獅子奮迅の動きをし続けている。

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アールズの堀田理事の
縁の下の力持ち的な働きがあるから
FWJは成り立っている。

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プランドゥーシーの三原理事の

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ディスカッションの仕切りっぷりはさすがだ。

FWJ (13)

ブラスパートナー企業はもちろん
この会のメンバー(入ってもらはないと困る)

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「僕も最後にこの会のメンバーを増やすために
熱く語りました」

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言うまでもなく、リクルート社の熱い支援がなければ
今までもこれからも活動を続けることはできない。

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終了後は懇親会。

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T&Gの岩瀬理事が締めくくり
無事に名古屋カンファレンスは終わった。

「ホッとしたな・・・」

「結婚式を通して少子化問題を少しでも解決するなど
社会に貢献することができる」

そう信じてこれからも自分に与えられた任務を
やり続けようと誓ったのだった。


PS.
前日は京都の高見ブライダルさんのイベントに招かれた。

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場所は京都の高台にあるお寺。

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「こんな、ドでかいイベントを高見さんが
やり続けているとは知らなかったナ」

イベント好きとして、大いに刺激を受けました!

悔しい気持ちを胸に

毎度毎度、スポーツ観戦のことでなんだけど
ラグビーワールドカップで日本代表は
決勝トーナメントに進むことができなかった。

女子バレーもパリオリンピックの出場権を
激闘の末に得ることができなかった。

男子は崖っぷちから這い上がり
見事にパリへの切符を手にして
選手が男泣きに泣いている姿が清々しかった。

途方もない練習を重ねてきて
それでも届かないことがあり
選手もコーチもチームの面々も
その悔しさたるや想像するに余りある。

その一戦にすべてを賭けるスポーツとは違うとはいえ
ビジネスにおいても
この悔しい気持ちを持ち続けることは大切であり
大なり小なり悔しくなかったら
仕事に打ち込んでいない証でもある。

スポーツはここ数年テクノロジーの発達により
より公平な判断が下されるようになった。

ビッグゲームになればなるほど
映像で反則か反則でないか
ボールが入っているかアウトかが
確実に確認することができるから。

ひと昔前の「マラドーナの神の手」(わかりますかね)
そんな事件は起きないし、これは大いなる進歩だと思う。

ビジネスにおいてはどうか。

今、世間を揺るがせている
中古車業界や芸能界の事件を聞くにつれ
より公平な競争をする環境ではないと思う。

スポーツ以上にクリーンな競争をしている
業界があることも知っているはいるけど
僕の所属する業界は遅れていると感じる毎日だ。

「だからこそ、成長する余地が十二分にあるのです」

悔しさをバネに
「まだまだこれからだぞ」という思いを新たにした
10月の三連休でした。

北海道がこんなに暑いとは 2023

先週末は縁あって北海道の小樽へ行った。

たまたまセントレアから千歳空港へ飛ぶ
飛行機の席が窓側だった。

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「奥に富士山が見えるということは
この前登った八ヶ岳があそこで
北アルプスの山々はきっとあの辺だな」

日本の山々は連なっていて
そこを縦走することが醍醐味なんだと
飛行機の上から改めて思う。

ま、そこまで感傷に浸るほどの
登山愛好家ではないけど
心の中で旅情気分に浸ることも
旅を楽しむことの一つなのだ。

千歳空港からは経営者仲間と合流して
向かった先は「ニトリ果樹園」

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北海道は多少は涼しいかと思いきや
ほぼ名古屋と同じくらい暑い中
もぎ立てのリンゴや桃を食べて
屋外で汗だくになりながらジンギスカンを食す。

そして小樽市内へ向かうとそこには

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ニトリさんが所有する美術館がひしめく。

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ヨーロッパやアメリカから輸入した
貴重なステンドグラスの数々も展示してある。

「一つ、下さい・・・」

と、案内をしてくださる
美術館のキュレーターの方に話したけら

「ニトリ会長に直接交渉してください」

笑顔で切り返された(当たり前)

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「ニトリだけに、鳥のコレクションが多いですね〜」

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小樽の観光名所である
運河沿いの温度計は「36度」

「15年前の慰安旅行でここに来て
板さんが北島三郎に扮して歌ったな〜」

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その日も、もの凄く暑かったこともあり
当時の思い出がよみがえる。

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宿泊先はこれまたニトリさんが所有する
小樽の歴史的建造物といえる旅館へ。

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「ニトリでガッチリ!!」

日本を代表する起業家であり
あのニトリを一代で世界的企業に築き上げた
似鳥会長から経営の生々しい話しを
直接聞くことができた。

「この少人数で、この話を聞けるとは
思い切って小樽に来て良かったナ」

「迷ったら、迷わず旅に出るべし!」

ブラスメンバーにいつも語っていることを
自ら証明できたこともうれしい。

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翌日は小樽で開催されている
ニトリレディス・ゴルフトーナメント」へ。

ゴルフを愛する僕は
この上ない幸せをここでも味わったのだった。

幸運なことがありすぎると
このあとが怖いことを経験上知っている。

翌日は列車のトラブルやら飛行機の遅延やら
さらに名鉄電車に間違って乗るなど
不運というか自分のうっかりミスもありつつ

「ま、不運があってこそ、明日の幸運もあるからな」

自分を慰めつつ、家路に着いたのだった。


PS.
似鳥会長は歌が大好きでこんな僕たちと遅くまで
カラオケ合戦をしてくださった

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「えっ、通信カラオケに自分の曲が入ってて
自らPVに出演してる〜〜」

そうなのだ。

似鳥会長は堂々と歌手デビューしているのだ。

「俺もデビューして、通信カラオケに入ったるべ」

北の大地に誓ったのだった(笑)

宮古島にて 2023 夏

「自分に必要で、出来ることをやる」

世の中はすべて分業であり
自分に与えられた役割を
それぞれが全うすれば人の世はよりよくなっていく。

と、偉そうなことを書き始める時は
次の言い訳につながることが多いと
我ながら思う(笑)

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ここは沖縄の宮古島にあるフォトスタジオ。

一緒に映っているジェントルマンは
長年の映像に関わるパートナー企業である
ムーブの宮脇会長。

思い起こせば25年間に司会事務所を設立した時。

僕が司会者で宮脇さんが大きなカメラを担いだ
ビデオカメラマンとして
数々の現場を共にしたことを思い出す。

そんな宮脇さんを頼って
ここ宮古島にやって来た。

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宮古島の結婚式に適した土地を
たまたま縁があった方々に案内してもらう。

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「宮古は、海の青さが格段に美しいね〜」

宮古島から伊良部島へ
現地に行かないと感じられない場所の数々を
案内してもらう。

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屋上に見えるのは、オープンしたばかりの
宮古島ヒルトンホテルのチャペルだ。

「どうする、沖縄リゾートウェディング事業!」

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5年も前から沖縄と宮古島で
フォトウェディング事業を展開している宮脇会長から
たっぷりと現地の事情を聞く。

サンセットビーチの美しさとワインを堪能しつつね(笑)

一泊二日の弾丸ツアーでしたが
自らの道を再確認する旅でした。 

カッパドキアにて

年に一度、長年に渡って切磋琢磨している
「フォーラム」と呼んでいる仲間たちと旅行をする。

これを「リトリート」と呼んでいて
旅行をすることは決められているルールなのだ。

「Once in a lifetime experiences」

一生に一度の旅をしようということで
過去にも様々な体験をしてきた。

10名の経営者仲間なので
当然ながら忙しく
スケジュールを合わせることも一苦労だ。

それでも、全員そろって毎年欠かさず
旅に出られるのは旅をすることを決めているから。

「行くと決めていれば、迷う必要なし!」

社会人になれば学生時代の仲間と
大なり小なり疎遠になってしまうのは
避けられない。

ならば「必ず毎年ここに集まろう」

と、固く約束して続けるのもいいね。

ということで今年は久しぶりに海外へ旅立った。

行先はコロナ前から企画していた「トルコ」

何をするかは仲間の担当者が全部決めていて
それに従って行動することも一つのルールだ。

日本からイスタンブールに着いて
すぐに乗り継いで降り立った先は
世界遺産であり有名な観光地の「カッパドキア」

初日の朝4時に起きて向かった先は気球ツアー。

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高いところは嫌いだから

「中止にならんかな・・・」

と、心の中で思っていた。

風が吹けば安全を重視して
すぐに中止になることも
珍しくないと聞いていたから。

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しかし一生一度の旅ならば
これに乗らないわけにはいかない。

天気も最高だ。

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「以外に低空を飛ぶのね」

だから怖くないし、眺望が美しい!

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人生で残る大切なものは何か。

「それは想い出です」

と、著名な作家は書いている。

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僕も心からそう思う。

いい人生にするには、カネやモノでもなく
一つひとつの体験であり
それにまつわる記憶だというのだ。

「人生は想い出作りだぞ」

と、ブラス社員にはずっと言い続けてるしね。

ならば僕自身が先頭を切ってやり続けるしかない!

いい旅してます。

どうする達明

「家康が三方ヶ原の戦いで
武田信玄に大敗を喫した」

大河ドラマを見ていない人には
「なんのこっちゃ」で申し訳ない。

とにかく徳川家康は人生最大のピンチを切り抜け
ほうほうの体で生き延びたのだ。

戦国の世なら負ければ死を待つのみだが
幸いにも僕らの生きる世の中は命までは取られない。

「負けても、まだ次がある今に生まれてよかったナ」

それでもビジネスにおいて競争は付き物であり
勝ち負けがあるからこそ発展する。

そして戦国の世と同様に
リーダーの決断一つで勝ちもするし滅びもするのだ。

2023社内ポスター
 
そんな決意表明をするべく
得意の社内ポスターをつくった!

「もしかしてこれは・・・」

「パクリではなく、参考にしてつくったんですよ」(笑)

僕だけではつまらないので
それぞれのリーダーバージョンもつくり
さっそく各店に配布した。

「どうする、ブラスのリーダーたち?」

「出陣じゃ〜と、気合の入った声を
腹の底から出せないようじゃ負けるぜよ」

会社も個人も競争するために生まれたのではない。

しかし、志を実現するために競争するしかないならば
インチキすれすれで勝つのではなく
美しく勝利しようといつも思っている。

縁をつなぐ

「人は偶然の出会いを積み重ねて
それぞれの人生を歩んでいく」

誰の言葉だったか忘れたけど
つくづくそう思う。

僕にとっての偶然の出会いの中で
今の人生を形作った大きな出来事がある。

それは今も現役で活躍している
名実ともに東海地区を代表するアナウンサーの
高井一さんとの出会いだ。

そのことはぜひとも
2018年2月のブログを読んで欲しいです

まさに偶然に偶然が重なり
32年前の僕の結婚式の司会を
高井さんが引き受けてくださった。

その司会ぶりを新郎の席から見ていた僕は

「これだ!
高井さんの司会をマネて、僕もやってみよう」

心からそう思った。

それが出発点となり、今の僕がある。

そして2018年に高井さんと夢の再会をして
感謝の気持ちを伝えた。

その続きがまさかあるとは
人と人との縁は不思議としか言いようにない。

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5月5日のブルーレマン名古屋で結婚式を挙げたのは
なんと高井一先生の息子さんだ。

お父さんと僕の縁を知ることなく
ブラスの会場であるレマンに来てくれて
1年前に結婚式を申し込んでくださったのだ。

そこからはこの日が来ることを心待ちにしていた。

担当の温子プランナーと新郎新婦とで
とっておきのサプライズも用意したしね。

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パーティーの後半でスクリーンに映し出されたのは
恥ずかしながら32年前の僕の結婚披露宴の映像だ。

映し出されたのは25歳の僕と妻と
若き日の高井アナウンサー。

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サプライズでマイクを持ったらもう
高井さんの独壇場だ(笑)

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僕の紹介をしてくださり

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会場を歩き回り

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僕の披露宴の時の様に
次々にインタビューをしていく。

「さすが我が心の師匠!」

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父へのサプライズもビシッと決まった結婚式は
二人にとっての最高だったと自信を持って言える。

「縁をつないでくださり、感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます!」

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高井さんからいただいた言葉を胸に
まだまだ精進することを誓った。

「生涯現役だ〜」 

運をつかむ

新卒採用の最終面接をすることは
創業以来ずっと続けている僕の大切な仕事だ。

経営の神様と言われている
松下幸之助先生の教えの中に

「運のいい子を採用しなさい」

という有名な一文がある。

なので
「あなたは運がいいですか」
と、僕は必ず質問をするというのは嘘で
何となく「運が良さそうだな」と
顔つきと雰囲気で採用を決めることは多々ある。

面接の会話の中で
「社長の座右の銘を教えてください」
という質問を受けることも多い。

それはブラスラブ(経営理念です)の
ナンバー2に書いてある

「謙虚さと笑いをもって人と接する、ですよ」

と答える。

これは
「幸運の女神は、謙虚さと笑いがある人に微笑む」
という教えに27歳の時に出会い
そこからずっと大切にしているからだ。

「えっ、社長って出たがりだから
あまり謙虚そうに見えませんけど・・・」

と、ツッコミを入れた方には
久しぶりにブログで
「カツだ〜」を入れなければならない。

カツを入れる時点で謙虚じゃないのだけど(笑)

それはともかく運については様々な意見があり
大なり小なり意識をして人は生きていると思う。

ちょっと前に韓国に行った時
宿泊したホテルにカジノがあった。

ちょっとチャレンジしたのだが
勝ちたい気持ちと
「ここで運を使ってはダメだぞ、俺」
そんな気持ちが交錯するのも我ながら面白かった。

そんなこんなで運に関する本もいろいろあり
この本は経営者にとっては特に決定版だ。

 
永守さんは日本の創業経営者の中で
名実ともにトップ2のうちのひとりだと僕は思う。

「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」

これは日本電産の標語であり
この方は超ハードワークをすることでも有名だ。

その永守先生が
「人生は運が7割」と書いているのだ。

運を呼び込むために
さてどうすればいいのか。

ぜひともこの本で学んでください。

花婿の父になる

地元の友人の子供たちが結婚し始めている。

すでに孫も生まれて
おじいちゃんになっている友もいるし。

そりゃ、ウチの会場で結婚式を挙げて欲しい。

「友達が結婚式場を経営しているから
迷っているなら一度行ったらどうだ」

そんな会話を交わしてほしいのだけど
世の父親たちはそこに意見するのが苦手らしい。

特に息子の結婚となると
「お嫁さんの意見があるからね〜」
と、遠慮する気持ちもわかる。

それに
「達明の式場って、知らなかったわ〜」
知らずに新郎新婦の父母として列席している時もある。

そんな中、僕の地元にあるブラス一号店の
「ルージュブラン」で高校時代からの友達の息子さんが
めでたく結婚をした!

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「息子さんに、すすめてくれたのか」

「いや、息子がそうとは知らずに決めてきたのよ」

「それはなかなかできる息子さんだな!」

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昔から泣き虫だったけど
家族対面でここまで泣く父親も珍しいぞ(笑)

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友達の子供の結婚式をすることは
一つの目標だった。

それがこうして達成し、喜んでいる姿を見て
新たなる闘志が沸いてきた!

「ブラスが掲げるファンづくりは
僕を筆頭に社員一人ひとりの身近な人々から始めるべし」

そんな基本的なことを改めて気づいたのだった。

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「俺も白髪が目立つけど、お前は真っ白だな〜」

同い年の友人の姿を見ると
年を取ってしまったことに愕然とする時がある。

それが現実ならば

「若作りをすることなく
その年齢ならではの味で勝負しようぜ」

と、思うのだった。
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