米寿の会
1998年に会社をつくったから
あれから27年と思うと感慨深い。
「そりゃ、年も取るよな」
当時は青年社長だったのに
すっかりド中年社長になったしまった。
「そろそろ老人社長では・・・」
とは言わないでほしい。
来年還暦を迎えるとはいえまだまだ心身ともに若く
老人には程遠いはずだから!
自分も年を取れば、親も年を取るのは当たり前。
父も母も元気で生きているだけでありがたい。
そして父親がとうとう88歳という記念すべき年齢になった。
それで「米寿の会を開きましょう」という話になり
それが父の誕生日である4月3日実現したのだ。

身内だけで、ひっそりやろうと思ったのに

なんだかんだで、こんなことになった(笑)

二期生のグロちゃんが親父となぜか仲がいいので
この日の担当を買って出てくれた。

一号店のオープン当初は毎週のように父親が
ルージュブランに来て、これもなぜか「会長」と
みんなが呼ぶようになったからだろう。

すっかり会長気分になって
「お前は偉そうに、放漫経営をしとる」
と、説教をされたのには参ったけど(笑)

時を同じくして弟の智行が会社に入ったから
その縁を結んだのは父だったのかもしれない。

父にとっては孫も古株の社員も大勢集まり
かなりのサプライズになったとは思うけど

「ちょっとボケ始めているからな・・・」
と、心配だった。
それでも意外にシャキッとしていたから
内心ホッとしたのだった。

こんなケーキまでつくってくれて

ありがとう!

昭和の父だから子供の頃は怖かったのに
年を取ると素直にこんなこともすると思うと

二人そろって長生きしてくれたことに感謝しかない。

「それじゃ、めでやたも、やらんとな」

一号店をつくる前は僕が太鼓と口上をして
弟と嫁はんも駆り出して
いろんな結婚式場でパフォーマンスをしていた。
「これで食いつないだんだよね、マジで」

20年前の全盛期は

年間100回は「めでたや」をしていたから

年齢を重ねても、ちゃんと体が覚えている。

「僕はまだまだ現役バリバリですから
プランナーのみなさん、発注待ってますよ。
こうして餅つきに参加して
結婚したカップルもいるのですから!」

中盤から後半は

なんだかわからんけど

ゲームで楽しむ。


若い頃は父母の前で歌うのは恥ずかしかったけど

この日は息子とも

嫁はんとも

弟(専務)とも歌う。
「父はほとんど寝てましたけど・・・」(笑)



「厨房チームのみんなも、こんなにやってくれて
ホントにありがとう!」

野々垣シェフと父との「鯉バナ」は

昔を思い出して大笑いした。

「ブラスを設立する時
何を言わずに300万貸してくれたから今のブラスがあります。
設立日が偶然にも父の誕生日だったから
こりゃ絶対に失敗できないぞとも思ったのです。
ありがとう、父さん」

「父は超えなきゃならんから、僕も88歳まで生きる」
米寿の会をつくってくれたみんなに心から感謝します。